(写真)祖父のファミリー。右上がドンロッシ
アルゼンチン人の祖父が焼く牛肉
僕は日本で「日本とアルゼンチンのハーフ」として生まれ、15歳でアルゼンチンへ渡りました。
(写真)従兄弟と15歳のぼく
アルゼンチンでは 祖父である「ドン・ロッシ」のお家でお世話になりました。
裏庭にはアボカドの木や家庭菜園があって、いつも新鮮な野菜を食べることができました。
週末になると親戚や友達が集まって、炭を囲んで肉や野菜を焼きながら、サッカーの試合を観戦し盛り上がるのが定番行事です。
歌ったり踊ったりも楽しかったのですが、
祖父の焼く炭火焼きステーキが本当に絶品で、
僕にとってはそのステーキを食べることが週末の1番の楽しみになっていました。
和牛とは違う魅力がある
日本へ帰国したのは21歳の時。
日本で食べる和牛もめちゃくちゃ美味しいんだけど、アルゼンチンで食べた牛肉は和牛とは違う魅力があるということに気がつきました。
臭みがなく赤身で柔らかく、サシの美味しさというよりは肉自体の旨みを楽しむ。
思い出の味を食べたくなり、日本でアルゼンチン産牛肉を食べれるお店を探しましたがその当時はありませんでした。
「あの牛肉を日本でも食べたい。」
月日が経ち、僕は好きだったデザインを活かし、WEB制作会社を営んでいました。
(今も継続中です!)
「君はアルゼンチンの血が流れているんだ。
日本アルゼンチン協会に入会し、アルゼンチンとの架け橋になるような仕事をしたらどうだ?」
僕なんかが入会出来るのか不安でしたが、アルゼンチン協会の方々は快く受け入れてくれました。
そこで、アルゼンチン産牛肉の輸入解禁のニュースを知りました。
(写真)アラン・クラウディオ・ベロー駐日アルゼンチン共和国大使と
アルゼンチン大使館で行われた日本アルゼンチン協会のパーティで、
久しぶりのアルゼンチン産牛肉の味で幸せに浸りながら
アルゼンチン牛はまだ普及できていないことも知りました。
(写真)パーティで焼いていた風景
「この牛肉を日本でも食べたい!
そして多くの方々にアルゼンチン牛の良さを知ってもらいたい」
僕はアルゼンチン牛を販売する決意をしました。
しかし、この後色々な難関にぶち当たることになるのです。
次回の話)アルゼンチン牛が売れない!